裁判とは、事実を明らかにして、事実に基づき判断すると思っていたが、やってみたら違った。

裁判とは、事実を明らかにして、事実に基づき判断すると思っていたが、やってみたら違った。

裁判って、一審の地裁位までは事実を明らかにすることが重要視されるが、控訴審や上告審では、事実よりも、その他で法的解釈や、さっさと裁判を終わらせる事が重要視され、事実はそっちのけになるし、上告審は、考える労力に足りる裁判かどうかが、カギとなる様である。

控訴審も上告審も、多くの争いを抱え、素早く処理する事が求められるらしく、十分に検討されない。という問題がある様だ。

では、どうしたら良いのだろうか?

選挙で出来る事は、裁判官を罷免する事と、国民の代表である国会議員を選ぶ事ですが、議員を選ぶと言っても、当たり外れの大きい自由民主党から選ぶのか、共産党系から選ぶのかしか、選択権が限られており、国民に選択の余地が殆ど無いに等しくないだろうか?

国民はもっと多種多様な考え方の人から、選ぶ権利が欲しいと思いますし、選ぶ人が居ないなら、自分が!と思っても、簡単では無い。

と言うより、普通のサラリーマンに何百万円を今すぐ、ポンと、もしかしたら、捨てる可能性がある供託金を払う必要があるのです。

経済的な障壁と言うべき、経済的格差や差別が平然と行われているのが実態だと思います。

経済的差別の壁を壊す必要があるのでは無いでしょうか。